(有)ロビンアートスタジオ
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新潟市中央区明石2丁目 3-53 TEL 025-244-5704 FAX 025-241-8931 http://www.robinhouse.co.jp/ Link Robin Blog (SHIGENO) ロビン アート スタジオ ギャラリー蔵織 蔵織のお知らせ 侘び・寂び・萌え・切れ 神崎のナナメ読み カテゴリ
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ロビン アート スタジオのHPにもどる 『旧斎藤家夏の別邸での十三夜』 の飾りつけをやってきました。 『旧斎藤家夏の別邸での十三夜』 2010年10月20日(水) pm 18:00~入館協力金:紙芝居 500円、●夜の庭園と茶室で pm 19:30~ 茶席1000円(希望者)●2階大広間で月見の宴 pm 20:30~ お食事3000円 (希望者) 五泉、村松の民話を大画面紙芝居で楽しく見せてくれました。 画面にブラックライトを当てるので、液晶画面・紙芝居のようでした。 茶会、お食事会も定員をはるかにオーバーして盛況でした。 何よりも、お天気に恵まれてお月様の十三夜は静かにあがってきました。フライヤーの写真のように、少しかすんでいましたが、かえって別邸とマッチしてよい風情でした。 フライヤーのお月様と別邸夜景を蔵織 でCG合体しました。 さて本物のお月様はどちらにあがるのでしょうか。 旧斉藤家夏の別邸は最近まで加賀田組の社長さんが使用していましたが、諸般の事情で、新潟市が買いとったものです。 現在はどのような使い道があるか実験中で、今回の企画も公募の中のひとつです。 『旧斎藤家夏の別邸』について 新潟市のHPによると下記のように説明されています。 『旧斎藤家夏の別邸』PDF •住所 新潟市中央区西大畑町576 •敷地面積 4549.93平方メートル(実測:1374.60坪)敷地内の建物 •延床面積 約780平方メートル (235.65坪) •主屋 (木造二階建)1棟、土蔵(二階建)2棟、茶室(松鼓庵、木造平屋建)1棟、待合(木造)2棟 軸の前には「古伊万里白磁大徳利」(寛文~延宝,1660~1670) 書院には「初期伊万里青磁香炉」(1640~50年)花は「ケイトウとミニトマト」 ということは、開放された1,2階の空間は北を向いていることになります。床の間や階段は南側で、北向きに大きな開口部がある部屋(建物)ということになります。旧斉藤家夏の別邸ということですので、建物は夏の日差しを避けて、緑に反射した光をうけるということです。また、植物にとっては南向きで太陽をたっぷり浴びることになります。 (南向に庭のある建物はひさしを長く出して、夏の強い日差しを和らげます。) ここは庭を眺めるために開口部は非常に大きいですが、北向きの部屋でも工夫次第でずいぶん明るくなるものです。 住宅を作るときも、どうしてもレイアウト上、北向きの部屋を作らなければならないときがありますが、北側の部屋は暗いと思われがちですが、北側にある建物や木々に反射して意外と明るいものです。 何でもかんでも南側がいいというわけでもありません、発想を変えて、旧斎藤家夏の別邸を思い出していろいろ工夫してみましょう。 北向きの書斎について、志賀直哉は年取ってから寒く冷えるとといっている。「若い頃は書斎は北向きが好きだった。明る過ぎると、気が散るので、机の上だけ明るく、ほかは薄暗いといふやうな窓の小さい部屋が好きで、我孫子でも奈良でもさういふ書斎を作つたが、年のせゐで、今はさむゞした書斎は厭になつた。奈良でも仕舞ひには、二階の南向きの六畳を書斎にし、北向きの書斎は夏だけしか使わなかつた。」 大正7年に旧斎藤家別邸を造らせた斎藤喜十郎の斎藤家は明治元年をはさんで激変する時代の中でめまぐるしく多くの会社を興しています。海運、証券、銀行業などたきにわたりますが、儲からないものはすぐに身を引いたり商人魂に徹しています。昭和に入り化学工業の新潟硫酸会社なども設立し、黄色い鼻を突く煙をもうもうと吐いていました。(今の世ならば大公害ものです) 旧斎藤家夏の別邸の1階、座敷上手北の一角は書斎のような造りとなっていますが、金儲けに狂奔していた斎藤喜十郎が文学など、お勉強していたのかは定かではありません。 実は、私が1300坪の旧斎藤家夏の別邸の中で一番好きな場所のコーナーです。 (以下、新潟市PDFより)佐藤紫煙の板絵。佐藤紫煙 (1873~1939) は、岩手県一関市出身の日本画家です。滝和亭 (1830~1901) に師事し、日本美術協会を中心に活躍しました。旧齋藤家別邸の主屋には、紫煙の落款がある板絵が一階に2か所、二階に1か所あります。「己未七月仲浣」という記載から、大正8 (1919) 年7月中旬に描かれたことが分かります。 庭の斜面頂付近の茶室「松鼓庵」。現在は高層ビルを背景にした別邸の建物を眺めることができます。 にいがた文明開化ハイカラ館 蔵織のお知らせ ロビン アート スタジオのHPにもどる 『旧斎藤家夏の別邸』について 新潟市のHPによると下記のように説明されています。 『旧斎藤家夏の別邸』PDF •住所 新潟市中央区西大畑町576 •敷地面積 4549.93平方メートル(実測:1374.60坪)敷地内の建物 •延床面積 約780平方メートル (235.65坪) •主屋 (木造二階建)1棟、土蔵(二階建)2棟、茶室(松鼓庵、木造平屋建)1棟、待合(木造)2棟 概要•衆議院議員・貴族院議員を務めた新潟の豪商・齋藤喜十郎(庫吉、1864~1941)が、大正7(1918)年に造った別邸。 •庭園は、砂丘の斜面という地形条件を巧みに利用し、建物に面して池を配置する回遊式庭園と呼ばれる様式。大正6年から3年の歳月をかけて作庭されたと伝わり、高い造園技術が施された名園。 •作庭者は東京の庭師・二代松本幾次郎(1858~1936)とも、その弟・亀吉(1877~1925)ともいわれている。 •庭園内には、浩養園(東京都墨田区)など、かつての江戸の大名庭園から選び抜かれた名石・石造物が数多く運び込まれている。 •庭園内の樹木・植栽は、緑の少ない中心市街地に残された貴重な緑地空間を形成。 •建物は、避暑と庭園鑑賞という目的に特化した開放的な造り。東堀通7番町から白山公園内に移築再建された本邸の一部(燕喜館)と似て、随所にさりげなく銘木を使うなど巧みな演出がなされた近代和風建築。 •西大畑町周辺には歴史的な建物が多く、この別邸も隣接する行形亭や北方文化博物館新潟分館とともに「白壁通り」とも呼ばれるお屋敷町の風情ある景観を形成。 •以上が一体となって、大正時代における港町・商都新潟の繁栄ぶりを物語っている。
by aarobin
| 2010-10-21 04:42
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